■■■タイ音楽の面白い話:「ラム・ペーン」はモーラムのロックなパタナーだったか?■■■
普段エムでSoi48の解説で接して頂いているタイ音楽ですが、たまには自分の言葉で書いてみたいと思います。え?大丈夫かって?マイペンライです(!?)
ドイ・インタノンというタイ東北地方、通称イサーン出身のプロデューサーがいて、70s-80sにかけてコンサート現場〜芸能界でギラギラな活躍をしていた。ドイ・インタノンは芸名で、タイ北部チェンマイにあるタイの最高峰の名をそのまま使っている。我が国ではつまり芸名「富士山」。ドイさんに命名の理由を尋ねると「若かったからね〜」。
このドイさんはタイ・ポップスのルークトゥンはもちろん、イサーンの伝統大衆芸能のモーラムも当然のごとく手がけたのですが、これがまたモーラム愛好家が眉をひそめそうな、物議をかもすようなものばかり。その突端が「ラム・ペーン」というドイさんが作って流行らせた新型のモーラムでした。ラム・ペーンは1982,3年頃に現われて、90年代まで続いたらしい(現在もあるにはあるそう)打ち上げ花火のように栄えた、実にいかがわしくもゲキ最高なモーラムであります。これに日本で最初に気付いて言い出したのは我らがSoi48であります。90sのUKジャングルの感じ?いや違うか? 何がcoolかというと、息継ぎもままならないほど矢継ぎ早に、思い切り下世話なイサーン庶民の現実と夢想をラムした歌詞。たぶん。「たぶん」というのは、イサーン語が難し過ぎて分からないので、全部のラムが理解できるわけではないからですが、それでも訳出で判明したものが全て期待を裏切らないもので、良く言えばストリート感、そのままだとダメなイサーンの日常。よくぞここまでグダグダにやったものだ。この采配こそドイさんのセンスで、今から30年前の作品ながら、現在のイサーン人ギャルにいまだにウケるというダンス音楽です。このラム・ペーンを頂点とするドイ制作のモーラムはたいてい歌詞が長く、テキストに起こしてみると更によく分かります。同じイサーン出身のプロデューサー、スリン・パクシリ制作の歌詞に比べると文字量は2、3倍、ものによってはもっと多い。毎回エム盤の印刷物のページ数計算に頭を悩ますのであります。これをレコード上では、他の曲と同じ3,4分くらいでラムしていくから、伸びやかに喉を鳴らして朗々と歌うなんてことはなく、立て続けに言葉を継ぐ、もうほとんどラップの域です。
ラム・ペーンの音楽スタイルについては、イサーンの地方にあるモーラムの「型」を土台にしたとのことです。そう、モーラムは型が命!厳しい人なら型が崩れたらもうモーラムじゃない、モーラムもどきの歌だ、ということになる。ラム・ペーンには70年代から大流行が続いたラム・プルーンの影が見て取れ、特に初期には影響が濃厚で、ぱっと聞くとラム・プルーンと間違えそうですが、ドイさんは取材で、ラム・プルーンよりテンポが早いんだよとその場で机をドンドン叩き、その違いはテンポにあり!と強調しておられました。非常にざっくりした数値ですが、ラム・プルーンはBPMが100前後くらいとして、アンカナーン・クンチャイの名曲「イサーン・ラム・プルーン」はそれより少し遅く、これに対してラム・ペーンはBPMで+20かもっと、きっちりと速い拍子でラムされるのです。同じ頃に出現するもうひとつのBADな高速モーラム、ラム・シンとは出自の筋が全く違うので比較は難しいものの、どちらも「は、速え〜!かっけ〜〜!」というロック的?感覚でウケたことはほぼ間違いない。理屈は分からないが、速い=かっこいい、世界のユースに共通の価値観です。
この「ラム・ペーン」の第一号というのがバッチリ存在していて、それはトーンマイ・マーリーという男モーラムのやった「ラム・ペーン 4ハイの男」そしてクワンター・ファーサワーンという女モーラムの競作「ラム・ペーン 4ハイの女」です。両方とも鬼の大ヒット。最初から対になっていて、ドイ先生、仕掛けてるぜ〜!感が分かります。同じ曲を男女別の歌詞で歌うのは、60年代にルークトゥンの王様、スラポンがポンシー・ウォーラヌットと組んで流行らせたスタイルで、カバー・ヴァージョンではなくて、対になって歌が完結する形式。日本では類例がひけそうでひけない、タイ独自の芸能でしょうか。「4ハイの男/女」はそれをきっちり踏襲しています。
さて、歌詞です。トーンマイの「4ハイの男」は、俺は酒豪、8日間飲み続けても問題ない、一晩で4ハイいける、俺はクールガイ。「アニキ、男とは?」「飲むことよ!」(引用:渡達也&渡瀬恒彦の松竹梅CM)。この4ハイの「ハイ」はタイ語で甕(かめ)=酒を入れる土器の瓶のことで結構デカい。しかも中身は凶悪な米の密造酒だ。これを4ハイいっちゃう。
いっぽう、クワンター・ファーサワーンの「4ハイの女」は、「4ハイの男」を頭からあしざまに罵倒する。カクテル2,3杯でふらついて水牛にぶつかるようなお前(笑)ほら吹きもいいかげんにしろ 飲むならメコンでもホントーンでも何でも持ってこい、サシで勝負してあげるわよ!とストロングなオネエチャンが啖呵を切る。これが当時、カセットテープでカップリングで発売され爆ヒット。恐らくセールス単位は千や万でなく10万という凄さで、買うのはイサーン人かラーオ系タイ人のみ。何故か?全てコテコテのイサーン語でラムされていたからです。中央(バンコク)や南部のタイ人には、何がラムされているのかさっぱり分からないし興味もなかったでしょう。何しろ中央タイはイサーンを卑下していた(いる)から。
この際、ドイ・インタノンがただのプロデューサーではなかったところ、もう少し解析してみます。
クワンター・ファーサワーン「ラム・ペーン 4ハイの女」でドイは3つの新しいことを試みた。ひとつは、ラム・ペーンという新型モーラム、二つ目は女性モーラムのイメージの刷新、三つ目は当時の最新メディアであるカセットテープでの販売です。そのカセット・アルバムは、トーンマイ・マーリー「4ハイの男」との両A面というカップリングで話題性も十分(※掲載写真は当時のカセットインデックス)。値段も比較的安価で、イサーン人労働者にとってはLPレコードより随分と手が出しやすくなった。それでも、日本人感覚に演算すると1本2500-2800円、所謂レコード業界で言うフルプライス、にあたると誰かが書いていました。カセット1本とはいえ贅沢品です。
三つ目の女性モーラムのイメージの刷新というのが実は大きなポイントで、従来は、モーラムでもルークトゥンでも可憐で美しい歌姫像というのが必須条件で、浅黒い肌のイサーン人歌手は白い肌に化粧し、丸顔を隠すため斜めから撮影するなど涙ぐましい演出をしていて、アメリカ黒人がやっていたコンクと思考は似たのものだった。歌う内容には、都はるみの「着てはもらえぬセーターを 寒さこらえて編んでます〜」ばりの、男性に媚びた演出も多分に含まれていた。その最たる例が、ドイさん制作の最初のスター歌手となったホントーン・ダーオウドンで、松田聖子を思わせる徹底的なぶりっ子で通し、結婚して引退という見事な芸歴だった。クワンター登場以前はほぼ全てこのイメージといっていい。
しかし、声はいいがルックスに問題があった(ドイ本人談はもっと過激な表現でしたが……)クワンターはそれまでにない強烈な個性、男どもを罵しり、怒りの感情をむき出す「ロックな」女性モーラムという演出で登場した。そのヘアスタイルもロック。写真は無表情で正面向いてドーン!新時代到来!ラムでは、仕事しない、金も無いのに酒ばかり、女を追いかけ、妻子がいたら隠して浮気、そんな駄目イサーン男どもに喝!というクワンターは、後に米に登場する姉御ラッパーの先駆けではないか?イサーン女はさぞスッキリし、イサーン男は「言ってくれるぜ!」とウケたのではないかと思います。うがって見ると、ドイの手になる歌詞と演出で、現実にはできそうにないことを、クワンターに代弁させたということではないか。自分の経験では、タイの残念な男連中、実はこれが少なくなく(笑)現実は駄目な男をもてあます日常ゆえ、クワンターのラムがより小気味よく響いたのかもしれません。音楽でも映画でも、人の口の端に上るのは、自らの周囲に起こっている日常ではないのです。※ただし、このへんは私独断の説なので、真に受けないように〜。
このラム・ペーンが威力を最大限に発揮した曲は、クワンターの「憎っくきモーターサイ」、ステープ・ダーオドゥアンマイ・バンド「俺たち兄弟、都会を行く Pt.1 & 2」あたりではないでしょうか。
「憎っくきモーターサイ」は自分の婚約者をこともあろうにバイクに取られた(他の女ではなく!)女の絶望感を歌い、憎っくきモーターサイの轍にゲロを吐いてしまいたい、というマッドな怒りが、軽快なバイクのエンジン音に混ざって爆発する。
「俺たち兄弟、都会を行く」は、イサーンの2人兄弟が「コンドミニアムってのを見に行こうぜ!」と、切符代をケチって入場券で駅に入り、列車の屋根に乗ってバンコクに乗り込み、自虐的なイサーン人ネタでバンコクっ子とやりあう珍道中を描写したもの。実はこれ以外に聞いたことがない「男二人の掛け合い」のラムがキラーで、熱いロックなノリはクリスタル・キングを思わせる……のは80sを生きた自分だけか。これから行くぜ!というスタート感に溢れた曲で、Soi48がよくDJでド頭にかけるチューンでもあります。ネタばらし。
歌手のキャラクターに応じて全く違う世界の歌詞を書き分け、しかもセンセーションを起こすプロデュース演出ができたドイ・インタノンは、元々、作詞家として注目された人で、その才を先達の先生方に認められ、音楽業界で生計をたてるようになった。最初期の仕事であるルークトゥン・イサーンの名曲「バンコクなんて嫌いさ」は、イサーン人の複雑な心境をオチをつけてポップスにした歌詞が見事。題名も素晴らしい。これはDJの誰かさんがタイ・ファンクとしてブートのコンピに入れてましたネ!タイの歌謡音楽界は作詞家が最も地位が高いように思われ、日本に少し似ているかもしれません。日本の歌謡曲では高名な作詞家の先生に依頼して歌詞を「頂戴し」、それに音楽を付けてヒット曲を作るという図式があった。SSWブームの後にその牙城が揺らいだのだったか、それはともかく、タイも作詞家で大成するのが最も名誉を集めることになっていて、現在もその風潮はある。ただし、日本と同様、伝説的な作詞家達はもはや高齢で相次いで死去し、ひと時代の終わりとなっているのも事実です。
ドイさんは下町の親分風で、今でこそ気のいい親父さん然としているが、70s−80sは相当にキレた、仕事に厳しい人だったという証言があります。歌詞をずっと眺めて読んでいくと、率直に言うとカネのためだったのでしょうが、当時どういう気持ちで書いてプロデュースしたのだろうと、思いを巡らしてしまうものも多く、イサーン人のペーソスを書かせたら右に出る者なし!このドイ・インタノンへの関心はまだまだ続いております。ご清聴ありがとうございました。(文責:江村)